さあさやれこの稲取ね ♪
自粛が延長になっている神奈川県なのでブログネタも無く…
私の育った伊豆稲取のお話でもしちゃおっかな〜と。
こんな感じのひなびた温泉街…でした。
『でした』というのは、最近過疎化してるのとこのご時世でホテルや旅館が休業してるためにゴーストタウンのようになってるようです。😭
昭和の時代、街には旅館の名入りユカタ姿の観光客がぞろぞろ歩いていて、射的屋とか飲み屋とかストリップ劇場とか、上品とは言えない賑やかな街だったんだけどねー。
そんな温泉街で育った私は、けっして上品とは言えない女に育ちました😛
23歳でUターンしてから親友のけいちゃんと夜遊び三昧の日々に明け暮れていたあの頃がナツカシス。
なんたって温泉街なので飲み屋には事欠かない。当時はカラオケルームも無かったのでアダナ年増のママさんのスナックで遊んでました。↓こんな感じの店ね。
20代のそこそこ陽気な女が2人で呑んでいると結構面白い事もあってね…
お客さんとアフターの芸者さんやら、ホテルのショーに入っている外人ダンサーやらと仲良くなったりする事もたまにある😄
当時のけいちゃん(左)と私
2人でビール1ダース開けていたころ(笑)
けいちゃんと私は中学の吹奏楽部で一緒にクラリネットやってた仲なんだけど、けいちゃんはとんでもなくオンチで、でもノリのいい女なので松坂慶子の『愛の水中花』を見事に全部ドの音で歌っていた😄
温泉街の飲み屋では歌唱力より選曲が大事で、けいちゃんの愛の水中花にはよく他のテーブルのオヤジ客から拍手と酒が届いた(笑)
その頃、時々スナックで一緒になって呑んでた芸者のお姉さんが歌っていたのが『トンコ節』とか『ヤットン節』とかのちょっと色っぽい歌でこのお姉さんは『離婚の歌』とか『ブ男の歌』に替え歌して歌って、けいちゃんとはまた別の意味で受けていたっけ。😅
https://m.youtube.com/watch?v=twPcT6g96H8
今ではこの2曲は私のレパートリーになっているw
昭和の温泉街のノスタルジー🍶🍻